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東京高等裁判所 昭和31年(う)2640号 判決

控訴人 被告人 背山善三

弁護人 田村喜作

検察官 池田浩三

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は末尾添附の弁護人田村喜作提出の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。

論旨二について。

原判決挙示の証拠によれば被告人がA子を自動車運転台に押し倒しA子の唇に口を寄せて同女に接吻しようとしたところ、同女は持つていた買物袋を口元に当て被告人の要求を拒み、極力抵抗するに拘らず、同女の口を押えたり、身体を動かせないようにしたりしてなおも接吻を迫つたもので、A子はこれを防ぐため被告人の指にかみついたり、顔をよじらせ、足をバタバタさせたりして、その口唇部が運転台の部品に当つて歯が一本脱けてしまうほど抵抗したことが認められるのであるから被告人は所論のようにA子の同意が得られるに於ては接吻しようと試みたに過ぎないものではなく、同女の抵抗するに拘らず強いて接吻しようとしたのであつたが同女の抵抗が予期以上のものがあつたためにその目的を遂げられなかつたものと認められ、これと同趣旨の原判決に事実を誤認した点があるといえないから、論旨は理由がない。

同三について。

接吻は相手方に対する愛情の表現であり、殊に成長した男女間のそれは性欲と無関係なものではない。しかし性的の接吻をすべて反風俗的のものとし刑法にいわゆる猥褻の観念を以て律すべきでないのは所論のとおりであるが、それが行われたときの当事者の意思感情、行動環境等によつて、それが一般の風俗道徳的感情に反するような場合には、猥褻な行為と認められることもあり得るのである。本件について見るに被告人の所為たるや、見知らぬ間柄であるA子外二名の女性を家まで送つてやるからといつて自己の運転する自動車に乗せ、同女の家とは違つた方向に運転し、深夜人のない神流川原に連れて行き助手河井幸生らがA子を除いた二名の女性を連れていずれにか姿を消した後でA子が前記のようにはげしく抵抗するにかかわらず運転台に押し倒し接吻しようとしたもので、同女がこれを承諾すべきことを予期し得る事情は少しもないのに、単に自己の性欲的満足を得る目的で相手方の感情を無視し、暴力を以て強いて接吻を求めたものであり、かような情況の下になされる接吻が一般の道徳風俗感情の許容しないことは当然であつて刑法の猥褻の行為に該るものといわなければならない。原審が右事実につき刑法第百七十六条第百八十一条を適用したのは正当で論旨は理由がない。

同四について。

被告人がA子に接吻しようとし抵抗されてその目的を遂げなかつたことは所論のとおりであるが、その際同女に対し原判決の如き傷害を負わしめているのであるから、接吻が未遂に終つたと否とを問うことなく刑法第百八十一条を適用すべきものであり、原審の法律適用はこの点に於ても違法ではなく、論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 加納駿平 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)

弁護人田村喜作の控訴趣意

二、原判決には重大な事実の誤認がある。原判決は被告人の強制わいせつ行為として「云々運転台のライトを消し右A子を運転台の腰掛の上に押し倒し強いて同女の口唇に接吻しようとしたところ極力抵抗されたため、その目的を遂げることが出来なかつたものである」旨認定した。然しながら被告人は決して強いて接吻しようとしたのではなく、右A子が拒むところがなければ即ちA子が同意するに於ては接吻しようと試みたに過ぎない。ところがA子が強く抗拒の気配を見せたので接吻の意図を捨てその後は何もしなかつたというだけのことである。このことは原審第二回公判調書中被告人の供述として「私は女から自動車のナンバーを知つているから警察へ届ける等といわれていたので強姦する心算はありませんでした」とあるに徴しても容易に之を看取することが出来る。被告人は女から自動車のナンバーを知つているから警察へ届けるといわれたので暴力を振つて女を姦淫する事等到底出来ない、後日女から警察に届けられれば搜査の手は直ちに自己の身に及ぶことは当然のことで被告人は之を考えたからそんな乱暴な行為には出られないと確く心を定めていたのであるから、その後接吻する気になつたのも接吻ならば警察へ届けられる様な心配はないと考えて居たからなのである。即ち被告人は接吻が刑責を問われる程の悪行とは考えていなかつた事は勿論暴行脅迫に訴えてまで接吻をしようと決意していたものではないのである。要するに被告人としてはこの位のこと即ち暴行脅迫等加えることなく接吻をする位の事は警察に届けられることもあるまいし又届けられても大した問題にはなるまいと考えてした事なのである。暴行脅迫を以て接吻する考えがあれば如何に法律知識のない被告人であつても強姦と大差ない位のことは容易に想到し得べきところだからである。警察に届けるといわれていたので強姦を躊躇するものが強制わいせつ行為なら敢えて之をするという事は矛盾も甚しい事理だからである。だから被告人がA子に対して接吻を求める挙に出たのはA子を暴行脅迫を以て圧倒して迄之が意図を貫こうとしたわけではなくてA子が如何なる反応を示すか試みに掛つたのである。そしてA子が抗拒の気配を見せ暴力を用いなければ接吻の意図を達することが出来ないと見れば被告人はその時は已むという考えでしかなかつたのである。強いて接吻しようとしたのとは凡そ遠い状態なのである。即ち原判決は被告人がA子に対し同女が接吻を許すかどうかを知るために試験的所作に出たに過ぎない。被告人の行為を捉えて「強いて同女の口唇に接吻しようとした」ものと認定したもので事実の誤認であることは明らかである。かかる事実誤認が裁判の結果に至大な影響を及ぼすものであることは論ずる迄もない。被告人の黙過し得ない所である。原判決は破棄を免れずと思料する。

三、原判決はわいせつ罪に関する法律の解釈を誤つた違法がある。

原判決が接吻をわいせつ行為であると断定したことは判文上疑ない。然しながら現在映画小説等に接吻の場面が取扱われていることは全く日常茶飯事の如くである。特に映画に於ては甚しく一映画に数回の接吻の場面を見せられることもあるが観客も何等異情を示さない。映画業者がわいせつ罪に問擬された例も未だ曽て聞知しない。之は即ち現在の社会感覚からは接吻をわいせつ行為だなどと考えるものは存在しないことを語るものと断定して誤りないと信ずる。従来わいせつ行為とは人の性欲を刺戟し、羞恥嫌悪の念を抱かせる所為という様に謂われていた。現代人で接吻を見てその様に感じ取るものは恐らく絶無といつてよいであろうと信ずる。原判決が被告人の前記所為をわいせつ行為と認定した事は現代社会通念に背反する判断である。破棄さるべきものと信ず。だからといつて弁護人は他人の意に反して接吻をすることが何等の刑責をも生じない行為だと謂うのではない。暴行罪の刑責は免れ得ないことは当然と思料する。

四、原判決は法令の適用を誤つた違法がある。

原判決は本件被告人の所為を所謂強制わいせつ致傷と認定し、之を刑法第百八十一条第百七十六条に該当すると判示した。然しながら原判決認定に依れば被告人は「強いてA子の口唇に接吻をしようとしたところ極力抵抗されたため、その目的を遂げなかつたものであるが、その際同女の口元等を運転台の一部に打ちつける等のことにより同女に……云々……の傷害を負わせたものである」と謂うのだからわいせつ行為は未遂に終つていることが判文上明らかである。即ち被告人の行為は刑法第百八十一条第百七十六条第百七十九条に該当すると謂わなければならない。原判決が刑法第百七十九条の適用を遺脱したことは明瞭である。この点に於ても原判決は破棄を免れないものと信ずる。

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